特徴といえるもの

●二つの事業を一体的に運営しています。
 (職員は書類上分かれているだけです)
●日中の作業はできるだけ利用者がご自分で選べるように
 毎朝確認します
●大勢の中が苦手な方が多いので、できるだけ作業は細分化しています
●ノルマや期限のある授産作業は行っておりません
●行事は、「大人」を意識したものとし、利用者と職員が出来るだけ
 相談しあいます
●毎日、帰りの会でその日作業したことを中心にご自身の言葉で全員が
 お話しします(職員も)
●楽しい暮らしが実現してこその自律と考えています
 (厳しい指導は無意味と考えています)
●障害を持ちながら人生を送っている方への尊敬の念が事業運営の柱です
●作業場も作業内容も地域社会の中に自然に存在しています


理事長からのメッセージ         理事長 新 沼 節 子
     第3回 ゆめ風であいましょう in大阪~(2016.7.2)での報告より

   さんりく・こすもすと大震災 -支えあえる仲間のいる幸せ-」
 さんりく・こすもすは、重度の知的障害のある娘を持つ、たった一人の母親の思いから始まりました。わが子の人生が幸せであれと願う親として当たり前の思いです。
 1991年(平成3年)に子供の住み暮らす場所を作ろうと活動を始め、11年後に初めてグループホームの事業が岩手県に認知されました。そのとき初めて直に接する事になったのが精神障害の方々です。私は、この国で彼らのおかれてきた状況に本当に衝撃を受けました。娘の幸せを願う気持ちは、次第に精神障害を患う人の幸せを願うものに拡がっていきました。利用する方々が徐々に増え、小さなこすもすがそうではなくなってきた20年目、東日本大震災に見舞われました。
 小さい頃から地震があると「津波の心配はありません。」と放送があるまでは安心しないのが、岩手県沿岸に住む者の思考です。しかし、今回の津波は想像をはるかに超えて、犠牲者も多く出てしまいました。しかし、私たちは、全員ですぐ高台に避難し、関係者のご家族はじめ誰一人津波で命を失うことはありませんでした。被害はグループホーム1棟と作業所1棟の流出、本部事業所とリサイクルショップの天井が落ちる被害のみで済みました。
 思いがけない奇跡もありました。一つはリサクイルショップの入口であるアルミサッシ4枚の戸が、コンクリートのたたきの上に地震で倒れたにもかかわらず、1枚も割れなかったことでしょうか。また私の娘が職員と一緒に地震の2時間前に気仙沼に出かけ、帰りに陸前高田の手前で地震に遭い、近くのお寺で一晩過ごしたことも、大勢がパニックを起こしてしまったことを考えれば、奇跡のような出来事でした。そんなおかげで、さんりく・こすもすは、管内いち早い3月19日に、みんなで一緒に事業所を再開したのです。
 日本の社会にこれほどの支援の力が存在していることを、とても驚き感謝した5年間といっても過言ではありません。大船渡市も3,600戸もの家が流出して、グループホームにできるような物件は無く、どうしても新しい家を用意しなければなりませんでした。そんな時、ゆめ風基金様が訪ねて来て下さり、援助をいただき、なんと、その年の暮れに流出したグループホームの分を再建することができたのです。その後、これまでお借りしていたグループホームを退去する必要に迫られたのですが、再びのご支援により、昨年の4月に2棟のグループホームが完成いたしました。
 最後に、昨年5月に完成した共生型事業所についてご報告して今日の終わりとしたいと思います。震災の前より心にかかっていたのは、利用者の皆さんの高齢化でした。長い入院生活をようやく解消し、こすもすに来たのに、働けなくなると帰る所がない、という不安が皆さんの心を占めていることに気が付いていたのです。何とかしたいなと漠然と考えていた時の震災でした。私が生まれ住み暮らした泊という地区は、津波で半分の家が無くなりました。小さいころからお世話になった懐かしいおばあさんたちが散り散りになり、自殺者まで出て心が痛みました。
 近所のおばさん達が気軽に立ち寄れる場所があれば、昼にお茶っこ飲みをして、何か手伝って、手伝われて、そこが被災した小さい地域のシンボルのような場所になれば。もう一度そこを中心に、泊地域の皆さんが300年築いてきたコミュニティーが復活できたら・・・・夢のように思えたその思いが、厚生労働省の被災地特例共生型事業所建設補助金に公募し、とうとう2015年5月に、障害者福祉と介護福祉事業を一つの建物で行う共生型事業所とまりが完成しました。
 落成式は、利用者一人一人が抱負を語り、おわりの言葉は娘の星子でした。障害を持つ方々はとても強く、あんな時さえ、明るく、自己中心はいつもと変わりなく、私たちが前を見て歩くことができたのは、それが原動力でした。人はどんな時にも、自分を取り巻く人たちと支え合いながら生きている・・・職員、利用者がそれぞれの立場で協力し合い、助け合った、それを感じることができた震災という大きな出来事でした。